明け方、ぽっかり目が覚めてしまった。
ここんとこ、寝入るまでイアホンでラジオを聞くのだが
それがかえって刺激になって良くないのかもしれないな。

玄関ドアに懸っている木のネームプレートが風にあおられてコツコツとひっきりなしに音をたてていた。
気になり始めると
だんだん耳に障るようになったきた。ドアの外に出て外してくるか・・・・

そうこう迷っているうちに、鼻水が突然つつーと鼻腔内を流れ落ちてあわや枕に・・・・・^0^
慌てて起き上がってリビングで鼻をかんだ。

かんでほっとしたら、今度はアナログ時計のチクタクチクタクという運針音がやたら気になり、電池を抜いてしまった。
無音になってようやくほっとする。外はまだ真っ暗。





マンションは本当に音が良く響く。
トイレの音はもちろんドアの開閉音、戸棚の開閉音 息子達の咳払い
家具や床のきしむ微かな音まで筒抜けだ。

畳に布団の生活だからか寝ていると
床、布団、枕を通していろんな音が聞こえる。

そして


そのたびにびくっとして身構えるのだ。


揺れが来るのかと。



震災以来

外の騒音よりもこうした家の中の小さいな音がひどく耳に付くようになった。揺れが来る前にたいていどこかでギシッキシッという軋む音がした。





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今日で震災から2年。



特別な日なのか。?


何かの区切りなのか。?



ラジオを一日聞いていたが
一部番組内容を変更していた。





ガレキを取り除き、家屋の基礎コンクリートもはがし、更地にしたはいいがその後はこの2年間何も変わらないという。

被災地の人口流出が止まらないという。

埼玉に避難した140人の人がいまだ、体育館での避難所生活を強いられている。

蓄えのある人ない人、車のある人ない人
他県とのつながりのある人は仮設を出てそちらに活路を見出す。
しかし、そうでない人は仮設に残り出て行った人を羨む。




マスコミに取り上げられる地域とそうでない地域。
同じ被災者同士の軋轢が表面化しているらしい。

その仮設住宅は壁が薄い。そのため隣のテレビの音や話声まで筒抜けなのだという。
プライバシーが保てない。こんな生活がこの先何年続くのかさえ示されない。

現地の人は硬直した縦割りのお役所仕事に怒りをぶつけていた。




2年前、波にのまれる街や車の映像を眺めながら、自分が今ここで安穏とテレビを見ているという事実が珍妙だった。
生きていていいのかとさえ思った。


嘘八百の東電のコメントやアホな官邸のやり取り。
何も信じられなくなっていた。
今もそれは変わらないが、あの日を境にして人生観は大きく変わっている。
描くことでなんとか自分を取り戻そうとしている.




忘れない。
思い続ける
それしか出来ないが。