最期





きのう、旧い友人のお母様の告別式に行って来た。
家族の見守る中、眠るような旅立ちだったそうだ。

式後、友人は遺影を抱いて黒塗りの先頭車両に。


後続のマイクロバスは、ほどなく荒涼とした河川敷を見渡す斎場に着く。

焼く間の会食ですこし話が出来た。気丈な彼女は明るく振舞っていた。




生まれて初めて葬儀というものに参列したのは19の年だった。
高校の友人がバイク事故で亡くなったのだ。雨の夜、塀に激突したという。
自殺という噂もあった。


しかし、訃報を聞いても全く実感が湧かなかった。
どんな用意をするのか、どんな服装がいいのか、焼香の作法など全く分らない。
喪服などあるはずもなく、急ぎウチにあった黒ズボンに店で黒いシャツを買い、団地の集会場にかけつけた。


翌日、斎場で煙突からのぼる煙を見上げて、ああ、いなくなったんだとやっと自分を納得させる事が出来た。あの頃の私は絵の事、将来の夢、進路の不安、恋などで頭が一杯だったような気がする。


死ということ、人はいつかは死ぬということに向き合ったこともなかった。

死ぬということがどういう事なのか、周りの人達にどんな影響を及ぼすものなのか、その友人の死を機に少しずつだか考えるようになったような気がする。
あれから一体何人の親戚知人を見送って来たのだろう。




若い時、手を合わせ「あなたの分まで頑張るからね!」と誓った事もある。

でも今はただ「ありがとう、お疲れ様」とねぎらう言葉しか浮かばない。

私も、もし、最後まで意識があったなら
家族に「お父さんでいさせてくれてありがとう、家族でいてくれてありがとう」と言いたい。それが無理なら遺書に書き残そうと思っている。


あわよくば
うららかな春の日、桜の木の下でスケッチをしながら、それこそライムライトに出てくるカルヴェロのように・・・・

まあ、いつ刺されるかまたは事故に遭うかわからないこのご時世、そんな都合よく逝けはしないだろうけど。^0^




帰りがけ、農家の庭先で紅梅が一斉に咲き誇っていた。今年初めて見る梅だった。なんだか涙が出そうになった。