何度でも起き上がるダルマのように
近所の特別支援学校。
久しぶりの「出勤日」です。
抜けるような青空です。
寒いけど風が無い分今日は過ごしやすい。
ア、エンプラが写り込んだ・・・
昔の「養護学校」という呼び方の方が言い易くて温かみがあって好きだったのに、なんでこんないかめしい長ったらしい名前にしたんだろう・・。
前にも書いたんですが、ここで染め物班のお手伝いをしています。
型紙 。いわゆるステンシルです。
染料。 絵の具よりとろっとしてアイロンで耐水性に。
溶き皿
たんぽ。 筆は使いません。これに染料を取ってトントンとたたきます。
絞り染めのための手作り補助具。
ひもで縛るのが難しいのでビー玉とカットしたホースで布を挟んでやります。ここに至るまでの試行錯誤がしのばれます。
こうしておいて大きな鍋で煮て地色に染めます。
いつも整理整頓です。いつも同じところに同じものが無いと困るのです。
生活感も漂う?
電気をつけて、ストーブをつけて、あと数分もすれば先生や生徒がドヤドヤやってきます。その間私はストレッチ。
主に自閉症やダウン症の子の通う学校です。
かつては私も同じような職場にいました。
小学部はほとんど担任が授業を行いますが、中学、高等部と進むにつれて担任の手を離れ、いろんな先生が授業を担当するようになります。だから教員同士の連絡がとても大切。「今日、山田君はクレヨンで丸が描けたんですよ」「大ちゃん、ラジオ体操最後まで出来たんですよ」とかね。すると担任はうれしい。さっそくその日の連絡帳に書いてほめて親に伝える。親も翌日「先生うれしいありがとう」って。
そうやって一人の子を周りの人が見守って育て、共に喜び時には親と一緒に泣き学校はまわっていく。
先生とひとくちに言ってももちろんいろんな先生がいる。
愛はあるけどスキルが伴わない人。
経験豊富だけど愛のない人。
声の大きい人小さい人。
いろんな困った先生と組んだことがある。もちろんそう言ってる自分も困った先生だったな。
当時中学2年生だったA君は、それまで給食はスプーンでしか食べられなかった。
なのでB先生は半年かけてお箸で食べられるように指導した。
その日の給食で私は左にA君、右にC君を担当した。C君に気を取られている間にA君はいつのまにかまたスプーンに戻ってしまっていた。
B先生、がっかりした声で「…A君、スプーンで食べてますよ・・・」
あのときの恥ずかしさは忘れられない。
幸いA君はまたお箸に「復帰」出来たけれど、そんなことが何度かあって、もうここにはいられないと思うようになっていった。子供が好きなだけじゃだめなんだ。冷静な分析や状況判断能力がなくちゃ駄目なんだ。
その後もいろんなことがあって人間関係でギクシャクして、しまいに笑う事が出来なくなって最後に心のゴムが切れました。休職、そして退職。
そんな苦い思い出の「ガッコウ」なのだけれど、こうして教室に一人いると、「やっぱり教室っていいな」、というかこんな人生もありかなという思いが沸き起こってきます。
もう担任は出来ないけど、こんなささやか所でも役に立てるなら嬉しい。
養護学校の良い所はだれとも競わないこと。
競争原理のまったく及ばないこと。
まさにオンリーワン。
その子のためにその子に一番合った方法や教材で持てる力を引き出す。
(だから、橋下の言う切り捨ての論理なんかがこの世界でまかり通ったらとんでもない事なります!君が代で起立すれば生徒が良くなるんなら何回でも立ちますよ)
あっという間の2時間は過ぎ、きょうは「ダルマ」の絵付け。
こんなん描いてみましたって最後に御披露します。ああ恥ずかしい。