2日目

午前中は市民センターでスケッチ会にお邪魔。
終わって会場に駆けつける。途中で買ったサンドイッチをお茶で流し込む。

今日は旧知の友達やスケッチ会の方々、叔母とそのお友達 同じマンションのご夫婦・・・・とお客さんが途絶えず嬉しい悲鳴。

その合間をみて再び庭園のスケッチにtry。
緊張感なく、ダラダラやっていたのでくどい絵になってしまった。(;_;)

まあ、記念ということで( ´▽`)


時間がありゃいいのが出来るとは限らない、今日の教訓







2年ぶりに会った友人と話し込んだ。

高齢の母親のことだ。

今、入っている病院を出されることになったので、今日は次の入院先に挨拶に行ってきたらしい。その友人自身も精神障害や膝痛などで大変なのに・・・
お母さんの心配よりも友人が心配になる。
話しているあいだも微笑みを絶やさない友人。
「こんなことになるなんて、若い頃は想像もできなかったよね」
そして、病気や入院の話から自分たちの子供の事に話が移る。

日本のいい時代を全然知らないで、年金が出るかどうかも不透明。
「就職もそうだし不安材料ばかりであの子たちの世代はかわいそう」という。


「・・・将来のことであれころ心配してもしょうがない。今、今日を大切にしてのんびりゆっくりね」




もうひとりの友人は末期ガンの母親を自宅で介護している。
年末は一人で散歩していたのに容態が急変し、1月に入って入浴トイレの介助が必要になったという。私の父もそうだった。母が献身的に介護した。
最後は家族の顔もわからなかった。私とふたりがかりで風呂に運んで
湯船に浸かると父は気持ちよさそうな表情だった。
「気持ち、いいでしょ」と母が聞くと
「ああ・・・」と小さく父はうなった。

今となっては父が先に逝って良かっと思う。父が残されたらどうなっていただろう。



昨夜はそんなあれこれを考えていたら2時になっていた。
自分の母のこと、カミサンの両親のこと。子供達の将来。年老いた友人のこと。そして、自分の始末。

トイレ食事排泄が自力で出来なくなったら、自分の意思で死ねたらと思う。
延命治療はごめんだ。でも、意識だけあったとしたらそんな勇気があるかどうか。どう生きるかよりどう死ぬかの方が難しいような気がする。


少なくとも息子たちにしもの世話をさせたくない。負担をかけたくない。そのためには・・・・?
しょうもない堂々巡り。